メンタルがしんどいのでちょっと泣くかあと思い『オトナ帝国の逆襲』を見ていたのだが、作中で作られるオトナ帝国の姿がメイク・アメリカ・グレート・アゲインだの、偉大なるロシア帝国だのに重なってしまって、改めてとんでもない時代に生きていることを突きつけられた気がした
メンタルがしんどいのでちょっと泣くかあと思い『オトナ帝国の逆襲』を見ていたのだが、作中で作られるオトナ帝国の姿がメイク・アメリカ・グレート・アゲインだの、偉大なるロシア帝国だのに重なってしまって、改めてとんでもない時代に生きていることを突きつけられた気がした
AIが小説を書けるようになった場合、作品はAIに書かせて、作家はそこにナラティブを乗せるだけ(作家性を読者に向けて捏造するために存在するだけ)という構成にするのが一番効率がいいし、たぶんそういうことをする人もたくさん出てくると思うのだが、問題はそういう人生を送りたいのかということである。
きた!
推協賞の候補作と並行して本格ミステリ大賞の候補作も読みはじめているのだが、面白いなあ
最近読んでいる本。小澤先生が素晴らしいのはもちろん、村上春樹さんのクラシック音楽への向き合いかたが好きだな。なんというか、斜に構えることも背伸びをすることも卑屈になることもなく、まっすぐに音楽を聴いている。
www.shinchosha.co.jp/book/100166/
そんなもん知るかよと大衆受けに振ることも、大衆なんか知るかという方向に振ることもできるのだが、なんというか、この尾根を滑落しないように走破して山頂に行きたいのだよな。書いていると美しくも見えるが、覚悟が定まっていないとも言える。まあ書いていきます。
よくわかります
多くの読者が好きなイメージが、現実世界の誰かの犠牲や搾取に基づいて成立していることはままあって(極端な例だと、国を守って死んでいく特攻隊員とか)、そういうものを神経質に排除していくと、今度は出来上がった作品が商業性を失いピーキーになってしまう。この問題に最近ことごとくぶち当たっており、悩ましい。
Audibleを試そうかなと思いアガサ・クリスティの未読本から聞いているのだが、なかなか快適。普段目を酷使しているので、ほっといても文章が頭に入ってくるというのは楽でよい。ページをめくったときの版面の美しさや、好きな文章を繰り返し読む快楽などはないけれど
作家の仕事はゼロサムゲームでも何でもなく、売れる人が現れたらその人に釣られて市場が広がって仕事も増える。奪い合いが起きているとしたらその戦場は市場ではなく、作家の内心であろう。
異世界転生小説は書き終わりました。推敲して提出予定。来月からは音楽小説の長編を書きます。
この件はもう宗教的な話に片足を突っ込んでいたので、戸籍は神棚に祀って御閉帳、社会的には夫婦別姓が実現、マイナンバー + RDBで身元を管理というのはいい落としどころなのかもしれない。コストはかかるが、まあ宗教と折り合いをつけるのは金がかかるものだから仕方ないと思う。
www.jiji.com/jc/article?k...
僕が書いているフィクションなんかも、人間を人工的な〈場〉に投入することで、何らかの突端を抽出する行為でもあるわけで
政治の世界の浅ましさ醜さを見たあとに五輪を見ていると、あまりにも美しくて陶然とするのだが、それはルールによって調整された〈場〉があるからなのかもな。なんでもありの野蛮状態では人間は醜く、人工的な〈場〉に投入されると崇高に輝く。
五輪を見ていると、表現と物理的な身体が不可分となっているアスリートに羨ましさを感じる。小説に身体性はないし、あったとしてもそれは多分に誇張され調整された、フィクショナルなものなので
SNSは議論ができる場ではなくて、それは人間に対する希望を失って冷笑的になっているわけではなく、システムの思想やコンバージョンの設計の問題であると考えている。僕は複雑な問題に関しては、長いものを読んでもらえる、見てもらえる場で発信していきます。
小川哲さんと福尾匠さんの対談を見る。SNSにおける「お前も声あげろ」という同調圧力の強さは年々強くなっていて、そういう泣き言を言っていると「このくらいでキツいとは何事だ」とさらに怒られるので逃げ場がない。
youtu.be/RojR3tHVtMo?...
連載が終わっている長編の改稿を送付。当初のビジョンが上手くいかず、ほぼ全面改稿。
最近楽器活動が面白すぎてもっと練習したいのだが、仕事が忙しくてなかなかできない。老後はサズも弾きたい
2026年衆院選の議席数だそうで。どう解釈するかは人それぞれだが、比例選挙制度って大事だなと再認識させられる。
選挙結果は僕の望むものではなかったが、まあそれが国民の選択ならば仕方がない。面白く、社会を切り取った小説を書ける限り書いていきたい。明日もがんばりますよ〜。
この矛盾を解決するアプローチのひとつが「キャラクター」であり、それを支える「台詞」でもあるのだろうな。
基本的には文章を事務的にして、展開をひっくり返し続けるのがいまのトレンドであると頭では理解しているのだが、僕のトレンドではないんだよな。
展開が多くなると、その状況を整理して読者に的確に伝達しなければならないので、説明的で事務的で味わいのない文章が多くなっていく。表現を豊かにしようとすると展開が停滞する。難しい。
デビューした10年前くらいの日記を読み返していたのだが、受賞して1ヶ月半後には(本も出ていないのに)インタビュー記事が雑誌に乗り、5ヶ月後に本が出たり書評をいただいたりしているので目まぐるしく人生が変わっている。今後どれほど売れても、あるいは発注がなくなって作家業を畳む方向に向かっていっても、あれほどドラスティックに人生が変わることはあるまい。
動画は数時間後に削除された。当初ホワイトハウス広報はこの動画について「インターネットミームだ」、批判については「フェイクの怒り」と述べ、擁護していたにも関わらず。
共和党員らの間からもこの動画に関しては深刻な懸念が表明されていた。とある官僚がCNNに対して「ある職員が間違えて投稿した」と語った(そういうストーリーにした)もよう。
www.cnn.com/2026/02/06/p...
いま書いている長編は「僕が面白いと思うもの」をひたすら煮詰めているので、これが終わったらパーッとシンプルな売れ線の話でも書きたい気分になっている。売れるかはわからん
文章は難しいな。どうやっても不完全なものにしかならない。
「一介の教師が原発からプルトニウムを盗んで、自宅で原子爆弾を作る」というプロットは、現実に近いところにリアリティラインを引くと破綻するので、かなりファンタジックに処理するしかない。『太陽を盗んだ男』は長谷川和彦の独特の線引きがあることで、描きえた作品だと思う。
このリアリティラインの線引きは、理屈では判っていても実作となるとなかなか動かせないんだよな。作家の根幹に関わる部分だと思っている。器用に動かせる人もいるとは思うのだけど。