自分の立脚点が完全に変わってしまったことを意識......
象徴秩序の中心/欲望の代理表象としてのファルス、知識の生産と流通を規制する言説的な世界の構造的中心としての空虚、もっと言えば男性を特権化する秩序の中心としてのファルス=ロゴス、ここら辺を語るための精神分析的な知識をもはや忘れてしまった
ファロゴセントリスムもなかなか負荷が大きい語だな
デリダをつまんできたけど何のどこを引いて説明すれば良いかぱっと思い浮かばない
The individual feels his own worthlessness in comparison with his task, and does not dare to introduce his vanity into the doing of it.
We cannot easily understand how Thomas Aquinas can speculate so much on the nature of angels, and whether ten thousand of them could dance on a needle's point. But it was simply because he held them for real.
disciple
sectator
expound
contrivance
hardihood
weed out
bear upon
英語力が雑魚なので知らない単語が多い
「『トランス差別だ』と叫んで退室した者がいたが、全体として報告に賛成する立場からも批判する立場からも意見が出され、民主主義的な討議の場を保障するものであった」調査報告書の後にこれを書く面の皮の厚さよ。
まあ普段から僕も何か言ったつもりになってるし、それは結局語彙の共有の問題でしかないし、そして僕も何も言えてないし、私の権威性暴力性を鑑みてもう黙るべきですね
スキナーが好きな~んだ
中学生の頃は不登校でネトゲに明け暮れていた荒廃した時代だったので本なんてろくに読んでいないです
強いて言えば百 尚 樹経由でネトウヨになったくらいで
本質主義的で単純なカテゴリーとしての男を批判するのはたしかに乱暴だし、できるだけ避けたい
そして安全だと思ってもらうためのパフォーマンスとして批判する気もまったくない
大したことはしてないけど、ずっと起きてたから眠気が酷くて
バイト疲れた、、、、
自分の身体にたいする自己嫌悪なんて当事者しか分からないのじゃないかしら、なんて言うと本質主義になるから絶対に言わないが
夜勤終わった、、、、、
自分だけが安全な男だなんて言うつもりは毛頭ないよ
どうしてこんな目に
本当に騙しているようで心苦しい(というか私の意図はどうあれ実際騙していることになるだろう)から言わなければならないが、私はシス男性であり、しかもこのアイコンを用いることで女性表象を簒奪するきわめて醜悪なタイプのシス男性になっている
みずからの男性性を忌避する傾向がこのようなアイコンを、少女的な表象を選ぶようにさせているが、実際それはただ男性性からただたんに逃げ、罪責を免れようとしているに過ぎないようにも思われる
男らしさは嫌だし、そこから逃れたいと、そして自分の中で清潔ではないことと結びついている男らしさから逃れたいと思っているが、結局そのための手段として少女表象を用いるのは端的により悪い
良いパワーワードが出てきた
"Those who make this field the center of their academic lives need to enjoy being seen as unimportant"
「この分野を研究生活の中心にする者は、取るに足らないものとして見られることを喜ばなくてはならない」
これは哲学じゃなくて意味論の本の冒頭だけど、意味の問いですらunimportantなら哲学はなおさらもっとunimportantだよ
しかし、山内先生の平明にして語りかけるような文体にもかかわらず内容が全然頭に入ってこないぞ、難しいな
というか山内先生はこの書き方だと卒論も、院生時代もライプニッツを研究されていたのだな
やっぱりライプニッツをやると中世スコラに踏み込まざるをえないのか
いや、中学生のうちから聖書やキリスト教を学ぶほど貪欲な人間ではなかったが、でも、この山の向こうを断片的にうかがい知る感覚とか、そうした世界への興味がだんだん学問への興味と合流する感じとか、(私が住んでいたのは平たい盆地だったが、それでも山に囲まれていたので、都会東京ユートピアと言えば山の向こうにあった)
なんかこう東北人として(いや山形と岩手ではあまりに懸け離れているかもしれませんが)なにかこう連帯の念をいだくわけですね、どうでしょう
夜勤中に山内志朗『普遍論争』を読んでいるが、あとがきの山内少年のエピソードが面白いというか、共感できるもので.......東北出身の哲学徒はみな何か感じ入るものがあるのではないか、いや私は中学生の頃から実践理性批判やニーチェ、ショーペンハウアーを読むような「出来た」子供ではなかったけども(私が子供のうちに触れた哲学なんてまんがで読破「純粋理性批判」くらいのものだ)
迂闊なことを呟きすぎた
いや、迂闊なことを呟く場にしすぎた
普遍としての人間は好きか〜!(コールアンドレスポンス)