ローカルLLMならdeepseekよりqwenの方が凄いと思うけどなぁ
ローカルLLMならdeepseekよりqwenの方が凄いと思うけどなぁ
道聞かれて
「ゴーストレートあんどザットクロスターンライト(左を指しながら)」
「ライト?」
「ライトライト」
という大ボケをかましてしまい無事に到着できたか後から不安になった。
そもそも日本語でも今日日道案内なんてしないので、単純に言葉が出てこないしテンパって左右がわからなくなったりする。普通にGoogle map見れば良いのになぁ。
神頼みのための祈りじゃなくて決意を固めるための祈りで1年を始めるべきで、そういう意味で現代日本人の神仏との関わり方は不健全だよなぁと思うんですよね。専ら「運」的なもののための存在に成り下がってる。本来「私の強い決意をどうか見ていて下さい」となるべき対象だと思う。
「いい一年になるかなぁ」じゃなくて「いい一年にしてみせるぜ!」って決意が大事で、一人一人の頑張りが社会を大きく動かす原動力になると思ってる。まずは信じて決意を固めることだと思いますね。自分の周りはそういうスタンスの人が多いので今年も気持ちが引き締まってる。
冬のコメダでたっぷりコメダブレンドとクロネージュを食べた。本当に贅沢な時間。
甘さ控え目が謳われていたり低カロリーだったりするスイーツがトレンドな昨今でも、しっかり甘くて量も多いコメダのスイーツ、自分の知る限りずっとスタンスが変わってない。オシャレだけど座り辛い椅子で回転率を上げている喫茶店が多い中で本当に居心地の良いふかふかなソファーでコーヒーが飲めるコメダは最高。
おまけに名古屋の喫茶店は朝早くからやっていて、徹夜作業の後とかにコメダに行ったりすることもある。本当にこういう時間をこれからもずっと守っていきたい。
数多ある振り返り手法、手法以上にどういうマインドで振り返りに望むかが大事だと思うのでむしろそういう方向のルール作りのノウハウが知りたい。例えばチームで週一の振り返りでKPTを運用しているとして、あるべきKPTから外れた場合の処方箋は属人化しているというか暗黙知として分かってる人だけ分かってる状態になっている気がする。
チームごとに違った状況が存在するから極論一般に言えることはなくてチームごとに試行錯誤するしかないって話なんだけど、良い感じに纏めて実りがある振り返りにしていける能力めっちゃ欲しい。
ソフトウェアエンジニアはコード書くのが好きじゃなきゃやれないという論調に対して思うことがあって、自分はコード書くのはそんなに好きじゃない。
単に未知のものを面白がれて、それで誰かが喜んでくれたら嬉しいというだけのモチベで7年間エンジニアやってきた。未知のものが沢山あってそれで誰かが喜んでくれて自分にその能力がある職種なら同じように楽しく仕事できると思う。
この「誰かが喜んでくれて自分にその能力がある」という部分は仕事を楽しいと思える人がほとんど全員持っている価値基準だと思うから「未知のものが楽しめる」あたりが大事なんだと思う。ネガティブケイパビリティとエンジニア適性が大きく関係してる。
ブルースカイを放置している間見事に筋トレにハマって、今では
ベンチプレス110kg
スクワット180kg
デッドリフト175kg
まで行った。筋トレみたいなやった分だけ伸びたのが数値で分かるものはシンプルで楽しい。ボディメイクにはあんまり興味ないしどちらかと言えばパワーリフティング志向ではある。
やっぱり次のマイルストーンはBIG3合計500kgで、そこまで達成したら何かしらの大会に出て公式記録的なものを持ちたい。今が465kgだからあと35kg、スクワットで10kgデッドリフトで15kg、ベンチプレスで10kgとか伸ばせたら理想だなぁ。
そろそろ完全移行先としてこちらを使おうかなと考えてきた。Xはもうダメかもしれない。
ChatGPT 4oに一本化した矢先、またAnthoropicが凄そうなのを出していてめちゃめちゃ魅力的に映って困る。
LLMは基本的にAPI経由で触ってるんですけどChatGPT 4よりも凄いClaude 3 Opusよりも凄いChatGPT 4oとかなりいい勝負のClaude 3.5 SonnetということでChatGPT 4以降もどんどん魅力的な選択肢出てきてる。しかも最新世代はChatGPT 4よりも遥かに安い。
明らかに破壊的イノベーションというやつの最中に居て、エンジニアとしてとても楽しい。プロンプトとかRAGの組み方次第で色んな応用ができて、しかも自分にも開かれてる技術。
Anthropic、無料の「Claude 3.5 Sonnet」リリース 先代のOpusを上回る性能
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2406/21/news087.html
Xのおすすめタイムラインが悪意のエコーチャンバーになってるような気がするという指摘を聞いてなるほどなと思った。
確かにXは極論がより拡散されて炎上がより加速する仕組みになってるかもしれない。あらゆるSNSでエコーチャンバーは言われるけどXは陰謀論と悪意のエコーチャンバーになってるから最悪なんじゃないかと思う。
その点Facebookとかは社会性が求められる分マシなのかもなぁ。実名登録というのはルールとしてかなり強いのかもしれない。Blueskyが実名制になって欲しいとは思わないけど、今後どうなっていくのか興味ある。今は平和だけど舵取りを間違えたら酷いSNSになるのかもしれない。
デートサイゼ論争、熟れた話題として結構いろんな人と話すんですけど、味とかクオリティとかの話はこの場合どうでも良いと思っていてそれよりも二人きりの時間を大切にしているかどうかが相手に伝わるかが問題だと思うんですよね。
つまり二人でごはんを食べに行くというのは二人がごはんを食べるだけで終わっていいものじゃなくて、大抵はそれ以外のことが求められると思う。
サイゼは高校生がドリンクバーで変なドリンク作って遊ぶ空間であって欲しい。デートは別の場所でやってるべきというのが自分のスタンスになる。まぁデートらしいデートなんかここのところ無いんですけど。
虚無主義と言えば自分の中ではニーチェ的な積極的虚無主義だから虚無主義を避ける気持ちが分からない。この世界は虚無であって欲しい。
人間の存在や歴史が何もかも無価値ということは自分を縛る価値観の物差しが無いということでもあるんですよね。これは究極の自由だと思う。その自由の中で自分の世界を確立することで。自分の世界の王になれる。
例えば同調圧力には全く動じなくなる。相手の主張には客観的な価値なんてない。その上で自己中心的であるかの決定権は自分にある。何かのために無価値に生きる選択を誰も止めることはない。
無価値に生きて無価値に死ぬからこそ人生は自由だという感覚こそ虚無主義のあるべき姿だと思う。
ついにxのproプランを解約した。今後xからだんだん離れていこうと思う。
正直スパムが増えたことよりも人材エージェントからのDMとかしょうもない炎上とか政治色の強いポストが増えたのが辛い。単純にxがアプローチしてるユーザー層が嫌みたいなところある。
SNSってこうなってしまったら二度とユーザーが寄り付かなくなって行くのかなぁ。高校生くらいからTwitterユーザーだっただけに本当に残念。サブスク課金してればそのうち改善して行くだろうと思ったけどそんなことはなかった。
こうやって一つの時代が終わっていくんだなぁという様を年単位の時間をかけてゆっくり見ている感覚。悲しいやら侘しいやら。
ネット上ではもはや自分が能動的にほしいと思ったものか自分に対してレコメンドされたものしか目に映らないんですけど、「本」においてはそれはあまりよくない現象のような気がする。
たまに書店や図書館に行くと本当に色んな本がある。こういう環境を一切経験できないんだとすれば本から得られる経験は自分の興味の延長でしかなくなると思うんですよね。
月並みな主張ですけど新しい本と出会って新しい価値観や概念を知るという経験は人生を豊かにすると思うし、確かにあまり書店には行かなくなったけど書店が一切無い地域に住もうとは思えない。税金の優遇でもなんでもして生き残らせていってほしい。
学生エンジニアのキャリア教育における「ポートフォリオ書け」という指導が全然しっくりこない。自分の時代にはそんなものなかったし自分が面接に関わった時もポートフォリオを見せてもらおうと思ったことなかった。
そもそも視覚的に映えるような成果物が生まれないことに興味を持っている人も居るし、エンジニアになるとしてもプログラミング以外のことに傾倒する時間も大切だと思う。
そもそも論として現代の学生は多くを求められ過ぎなんですよね。やれ成果物だやれインターンだやれGitHubだって。社会人になってからうんざりするほどやるんだから別のことやった方が良いと思うんですけどね。
外部から何かツールやプロセスを導入する時、自分はエンジニアでアジャイルの考え方が染み付いてるからチームで咀嚼し切れたものだけを注意深く使う方向性に舵を切りたいと思う。
でもこの考え方はとにかくツールを導入させたい、したい界隈とはかなり相容れない考え方で、このスタンスの違いによる衝突は結構起きる気がする。
ツールやプロセスの導入が実績になる人というのは世の中には沢山いて、そのことを念頭に置いておかないとアジャイル的なスタンスは内部から外部から問わず簡単に破壊されるし、結果誰かの実績にはなったが肝心の成果が出せない状態に陥る。長期的にその罠にハマって気づいら手遅れなんてことが普通に起きる。
なぜインターネットがあるのに勉強しなければならないとかとかなぜAIがあるのに勉強しなければならないのかとか毎度言われますけど、実際のところ新しい技術が台頭する度に「仕事として戦力になる人」における要求される知的レベルは上がり続けていて、本格的にAIが台頭頃には今よりも遥かに勉強しなければいけなくなってると思う。
AIが発生させる富を国民に分配する方式のベーシックインカムをFacebook時代のザッカーバーグとかが提唱していたけど、このまま行くとそれを真剣に考えなければいけないフェーズが自分たちの生きている間に起こり得る。
これからは民主主義の役割について真剣に学ぶことになるのかな。
社内のAI活用について考えてるんですが、自分は「AIを利用して労働を効率化していろんなことをさっさと終わらせて人間が楽をする。」というスタイルよりも「人間がAIに上手く働いてとらうために色々なお膳立てをする。」というスタイルの方が上手く活用できると思っていて、具体的にはRAGに使うPDFやテキストなどのメンテナンス等が必要だなと感じてます。
これが何かに似てるなと思ったんですが、神様に豊作を願って色々な工夫を凝らして捧げ物をするということと良い対応が取れるような気がして、人間の時代が終わって人間の上位存在としての集合知の化身が現れたという見方ができそうな気がします。みなさんはどう思いますか。
中国製イヤホンの品質がどんどん上がっていて今やeイヤホンみたいな専門店でもよく見るようになったけど、安くて高品質なのに意外と持っている人が少ない気がする。
確かに間違っても他人にオススメはしない。中国の品質保証を信用してないし、実際個体差もあるんじゃないかと思う。左右で鳴り方が違うような不良品に当たったこともあるけど、数千円のために中国に送り返すなんて手間かけたくない。
結局品質に対するコスパはよくても購買体験に対するコスパは中国製品はまだまだだと思う。何をパフォーマンスの基準にするかによって購買行動は変わるよねって話だよね。iPhone Android論争にも繋がる話。
仕事してて「開発体験が悪い」は本当に表現が悪いと思う。エンジニアが気持ちよくなるために会社は金払ってんじゃねぇんだぞって話じゃないですか。ちょっと売り手市場でチヤホヤされてるからって調子に乗りやがってって自分だったら思いますよ。
せめて開発の生産性が上がらない環境だとかそういう言い方をすべきで、開発体験とやらを向上させたい時もあくまで会社の利益のためにこういう改善や工数が必要ですよという言い方をすべきなんですよね。そういった説明責任は普通はエンジニア側にありますよ。
採用の文脈であれば話は別ですけどね。優秀なエンジニアの獲得が難しい状況は続いてると思いますし、戦略としてありではある。
愚痴みたいな話なんですけど、エンジニアの言う「開発体験が悪い」って何を甘えたこと言ってるんだって気持ちになるんですよね。当然開発体験を良くして採用戦略に反映させるという考え方はあるのでEMの方やCTOやVPoEの人が言っているなら分かるんですけど、基本的にエンジニアが気持ちよく仕事するためにプロダクトが存在するわけじゃ無いじゃないですか。
正直そういう主張が他部署の人からどう見えているかも不安ですし、そういうことを一切気にしない周りが見えないエンジニアもなんか嫌なんですよね。
例えば営業の人が「営業体験が悪い」とか絶対言わないですよね。そういう概念があるのかも分からないですけど。
5年後の目標を決めて2年後に達成していたいマイルストーンを決めて逆算して今どのくらいの時間を捻出しなきゃいけないかを考えたらなんか時間作れるようになった。
結局目標に繋がっていてある程度具体化されているものにしか従えなくて、計画を立てることも夢を見ることも現在よりよく行動するためのものなんだなということにこの歳になって気付いた。
将来の計画なんか立てても計画通りに行った試しなんてないし、だから無駄だというスタンスだったけど、結局計画を立てて現在を充実させることくらいしかやることが無い。計画を無駄と言うには人間は余りに弱いんだなって気付いてきた。
継続していきたい。
The Model本に何が書いてあるかは別としてThe Model的な営業手法というのは存在していて、現在The Model的な営業手法が疑問視されてる流れがある。
でもそれってThe Model本で既に語られてる疑問だったりして、結局あまり理解せずに聞きかじった手法を語ってそれが正解であるかのように振る舞ってトラブルを起こすというエンジニア界隈でもよくあることが営業界隈でも起きているという話っぽい。
そうすると解決策はプロセスより個人と対話を重視するアジャイルソフトウエア宣言の営業版だよなぁ。こういうのって交流会をするとお互いに何かヒントを持ち帰れたりするんだろうか。
論理的に正しいというだけじゃ正義ということにはならない、正論は正義ではない。そして論理的に正しい悪は始末に終えない。だから正論は論理的に正しいのにめちゃくちゃ嫌われる。概ね正義ではないが論理的に正しい主張のことを正論と呼んでいるからだ。つまり始末に終えない悪だと思われている可能性が高い。
しかも論理的に考えて論理的な正しさを根拠にして何かを主張するのは賢くない。人間は感情で生きているもので、人類の得た最高の正義の決定方法は多数決だからだ。感情に訴えかけて多くの人を自分の陣営に引き込んできた人たちだけが正義を語ってきた。論理的な正しさは最後に付け足されるに過ぎない。少なくともその中心にはない。
今現在ざっくり言ってセールス&マーケの強い会社でお世話になってるんですけど、セールス&マーケって面白いですね。
営利企業は営利が目的である限り何かしらの戦略を持って市場を攻略して最大多数に最大の価値を届けたいと考えているものだと思う。
その中心は間違いなくセールス&マーケで、目の前の顧客の課題を深堀りすることも視座を上げて長期的な市場の攻略を考えることもどちらも大事で、その反復をどれだけ回せるかで芯を食った価値提供が出来るか決まってくる。
目の前の顧客の課題に向き合わないと上滑りな戦略しか出せないし、一人の顧客に最適化し過ぎても多くの人に支持されるような会社になれない。
radiusのRK-DA60CKというusb-c接続のスマホ向けusb dac ampを使ってるんですけど、どうやらただの変換ケーブルに見えるらしくていわゆる「オカルトオーディオ」みたいな扱いを受けがち。エントリーモデルでむしろ安いんですけどね。
dac ampが何か知ってるから従来品が小型化したものと認識できてこの価格がむしろ安いと思える。usbから出てるのはデジタル信号でそれを精度高くアナログ信号に直して増幅するには技術が必要なことも理解できる。
予備知識がないとひと目見て詐欺商品とそうでないものの見分けがつかないのって怖いなと思いましたね。
amzn.asia/d/dTk5x5G
小学生のときは25分の休み時間がめちゃくちゃ長くて外で遊んだり出来たのに大人になったら1時間の昼休憩がめちゃくちゃ短く感じる。
というようなことを思っていたけど小学生のときも給食の時間と休み時間あわせて1時間はあった。1日8時間も勉強していたかと言われると45分授業が5コマとかだったから正味3時間45分くらいしか勉強してない。
何より今は利益を得る活動をしていて活動の質もより疲れるものになってる。体力が衰えたというよりは単純に働き過ぎなんじゃないかと思う。1日4時間弱の就業であればジムとかスポッチャでも行って小学生のときより遥かにアクティブに過ごせる気もする。
教育におけるアウトカムの重要性みたいな1990sくらいから盛んにされてきた議論とSNS時代におけるブログを書くことによる自己ブランディングの重要性は意図的に混同されてるような気がしてる。
学習にはアウトプット、もしくはアウトカムが大事だってよく言われるけどそれは別にネット上にブログ形式で発信することに限らないんですよね。Discordで友達と議論するとかもアウトカムだし、LT会で発表するのもアウトカムだし、なんなら理解したことをコードにしてみるのもアウトカムなんですよね。ノートテイキングツールを使ってノートに文章書くのもそう。
別に万人が学習目的でブログ書くべきとは全く思わないですよ。