作業が多すぎていっこうに進まない
作業が多すぎていっこうに進まない
「原初の魔法」論(「この世界で魔法が可能になるためには、まずこの世界が"魔法の可能になる余地のある世界"であることが必要)
くらいところ、さむいところ、さみしいことを避け、たいせつに保存してください
応援歌、生活讃歌に属するメインストリームのJPOPの歌詞の内容があまりに実生活から離れて抽象的で観念的なことが不気味で当てつけに聞こえ嫌に感じていたことがあり、強さの表象としての抽象表現という図式を考えたことがあった。つまり、余裕があり具体的なことに拘泥しなくて良いというシグナリングのために抽象的な善を歌うというもの
同意
入浴に踏み切れない症候群みたいなの、理屈としてはわかるけど個人の体感では入浴ほど踏み切りやすいこともないと思ってる(不快感駆動なので水分補給くらい動きやすい)ので正直よくわからなくて、逆に出浴できないみたいな話ならめちゃくちゃ理解できる
政治的判断の文脈では、ある物事が大切であるか、意味があるか、享受する権利があるかという基準で測るのは良くなく、なぜならほとんどのものは大切であり意味があるから、そのような議論は実際には発言力の大小、現実の力関係を反映するものになると思うからで、資源は不足しており全てのべき論に答えられないという非倫理的な状態で、理想状態に至るまでに何が必要かという視点で物事を選択する必要があり、具体的には教育、文化、科学技術の予算より社会福祉が優越する現状は、健全な民主主義の防護装置が機能しているという面もあるけれど、それが最も非難が少なく倫理的に無難だという近衛政権的なビジョンのない破滅に見える
「自分で選択できたと実感できれば納得できる」、そうなのかどうかを検証できないな(全ての選択は世界によって仕組まれたものであることを所与の事実として認識しているため)
三月なのかなのか。
今日は三月なのか。
Wikipedia Gacha をひたすら回していて思ったこと:
図書館に関する記事は品質スコアの割に任期度も詳細度も芳しくない
はてブ(この世の果てのライブラリー)
中国語圏発の人工言語を観察する奇特なアカウントはこちらです
すべきことが極端に多いわけではないが、すべきことに対して作業可能な時間が短すぎて詰んでいる
体系性だけを気にするなら Mondezo とか、少し西洋語以外の要素も混じってよいのなら Mundeze とかも悪くないんですが、まあエスペラントが強いですよねえ。
Elefen(というか語順で品詞を表示する言語一般)はある種の人たちには難しいんだろうなとは思います。それこそ Glosa も。
Neolatino は補助語なのに名詞性があるのが変わり種ですが、西洋語らしいといえばらしいところです。
デス耳栓は1本の長い線で脳髄ごと両耳を貫く
ねむみある午前
ようするに古典教育の趣旨をよく理解していなかったということだろうか、という思いだしです
古文というものを知りたてのころ、私は「変格活用なんて面倒だ、規則的に修正すればいいのに」と思っていた(古文が昔の日本語であるという認識はあったと思うが、いっぽうで漢字の字体などは現代語に合わせて書き換えていることを朧げに知っていたため、人為的に言語を改めることがダメというわけでもなかろうと思っていたような気がする)
関連するかもしれないこととして、全称命題と単称命題の違いは義務教育の範疇に含まれるべきだと感じている
個別具体の話でしかないものに対して傾向でどうこうの話をするなとか、そういうことを義務教育で教えた方がいいと思う
人間はいつまで経っても自分の体脂肪率をBMIで計ろうとするし(それは集団の指標です)、身長が高い人を募集する時にやることがコーカソイド男性に絞ることだと思っている(身長で絞れ)
言語界隈の一人称は混迷を極めており、
「歪(わい)」
「朴(ぼく)」
「㛪(※ベトナム語の代名詞)」
「婢(※「僕」に対応する女性形)」
「フャ」
などの事例を観測することができる
インテルリングアくらいメジャーな人工言語なら機械翻訳に対応してるでしょ!と思って検索したら LLM で一瞬でつくったみたいな謎アプリをたくさんお出しされている
世の中には「LLMであると同時にフォントでもあようなフォント」が存在するくらいなので…
fuglede.github.io/llama.ttf/
なんとなく、心といえば理性だと思っているきらいがあり、心といえば感情派との軋轢を感じる
「ただより高いものはない」,一種の極論という感じがする(例えばgoogleのサービスを利用して個人情報を抜き取られたとして,ほとんどの人にとっては自分の個人情報よりも得られるサービスの方が遥かに価値が高いはず)